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「共済」とはどんなもの?「保険」との違いと、その長い歴史を知ろう


これまでに「共済」という言葉を耳にしたことがある、あるいは何らかの形で共済に加入しているという人は少なくないだろう。

実は「共済」の概念は数百年も前から存在しており、日本では江戸時代以前にまで遡ることができる。

「共済」という言葉は「共にたすけあう・支え合う」という意味を持ち、組合員が一定の掛け金を支払い、誰かに不測の事故などが生じた際にそこから共済金を支払うことでその人を助けるという仕組みだ。


共済の特徴と種類

似たような概念に「保険」があるが、多くの人からお金を集めて、万一の事態に陥った人にお金を提供するという仕組みは「共済」も「保険」も同じだ。


例えば生命保険にあたるのが、生命共済。
傷害保険にあたるのが、傷害共済。
以下、年金共済、火災共済、自動車共済というものもある。

共済一覧

図1 共済のおもな種類
(出典:「日本の共済事業 —ファクトブック2020—」日本共済協会, P6)


ただし、共済と保険には、次のような違いがある。

まず、共済の運営主体は「協同組合」である。

共通の目的をもった人たちで組織されるもので、例えば「農業協同組合(農協)」「漁業協同組合(漁協)」「消費生活協同組合(生協)」については馴染みのある人も多いのではないだろうか。

属性の似た人たちが集まっている組織、と考えるとわかりやすい。
共済の主体となる「協同組合」は、日本国内では多種類存在している(図2)。

組合一覧

図2 日本のおもな協同組合
(出典:「日本の共済事業 —ファクトブック2020—」日本共済協会, P7)


このような運営主体のちがいから、保険と共済の最も大きな違いは、営利を目的にするかどうかにある。
共済は営利を目的とせず、純粋な「たすけあい」の色がより濃くなっている。

したがって、適用される法律にも違いがある。
保険会社の場合は「保険業法」「会社法」が適用されるのに対し、共済では各種協同組合の協同組合法と「保険法」が適用される。


古くから存在する「相互扶助」の概念

共済についてもっと理解するために、その主体である協同組合の歴史を紐解いてみよう。

近代的な協同組合の起源は、1844年にイギリスで設立された「ロッチデール公正開拓者組合(ロッチデール先駆者協同組合とも呼ばれる)」だと言われている*1。

時は産業革命の真っ只中、工場の機械化が進み、多くの労働者が低賃金で苦しんでいた時代のことだ。

マンチェスター地方にある織物の町・ロッチデールも例外ではなかった。
ツケ払いをせざるを得なかった低賃金の労働者は、買い物をする際、悪徳商品を買わされたり、量をごまかされたりする苦しい生活に見舞われていた。

そこで28人の労働者が集まって結成されたのがこの協同組合だ。
自分たちで店主になればごまかされることもなく、自分たちで工場主になれば失業の恐れもない。そう考えて立ち上がったのだった。

そしてなけなしのお金を週に2ペンスずつ、全員で積み立てた。1年後にようやく、倉庫の1階を借りて自分たちの店を開業した*2。
これが生協の始まりだと言われている(図3)。

ロッヂデール

図3 ロッチデール公正開拓者組合の最初の店舗
(出典:「協同組合の歴史」日本生活協同組合連合会)

ただ、日本では、共済の根本思想である「相互扶助」「相互救済」の概念はもっと昔からあった。

推古天皇14(606)年の「扶桑略記」に「講」、すなわち相互扶助の「組合形式」についての記述があり、そこに相互扶助思想の片鱗が見られる*3。

頼母子講

図4 頼母子講連名帳
(出典:日本銀行金融研究所 貨幣博物館)

また、お金を出し合う、という仕組みとしてよく挙げられるのには江戸時代の「無尽(むじん)」や「頼母子講(たのもしこう)」がある(図4)。
これらは「万一に備える」というよりは庶民の支え合いのシステムである。

頼母子講とは、基本的にメンバーが毎月お金を出し合ってプールし、助け合う仕組みであった。
積み立てられたお金は抽選などで当たった人に支給するが、実際は順番にお金の受け取り手を決めていたことも多かったようだ。

一時的に掛け金の支払いを免除し、事業が成功してから支払えばよい、いわゆる「出世払い」もこの頃からあり、人情味あふれる庶民の助け合いの姿を垣間見ることができる。

年貢の厳しかった封建制度のなかで生まれた庶民の知恵であろう。ロッチデールの協同組合とその背景は通じている。

しかし、大正時代には大きな事件も起きてしまう(図5)。

頼母子講記事

図5 「飛行機頼母子」事件の報道(大阪朝日新聞、1925年6月19日)
(出典:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫・大阪朝日新聞 質屋無尽02-039)

上の新聞記事は大正14年のもので、「飛行機頼母子」という名前の頼母子講のメンバーが親子8人心中に至ってしまったという事件について報じている。

この頼母子講は、積み立てられた掛け金を、年に4回の抽選に当たった人が使えるルールだった。しかし掛け金を払っても払ってもくじに当たらない、しかし引き下がるわけにもいかなくなった、という状況に追い込まれたのだ。

さらに、この報道によると、メンバーがさらに講を作ってお金を集め、そのお金を集めるためにさらにその下に講が作られるという無限とも言える状態を作っていた。

この頃、頼母子講を作って掛け金をだまし取る不正が相次いでいるとも記事は報じている。

――― 平田刑事課長は
 『飛行機頼母子を調査しかけてからその内容の問合せが無数に来る、彼等の大抵はその内容をよく知らずに加入していたものらしく非常に心配している、それが全市に亙っているから余程この関係者の多いことはいうまでもない。この頼母子を別問題としても最近此種の不正頼母子が至る処にある、何にも知らぬ素人が慾にかられて欺かれる、講元にしても欺くつもりでなくとも落して逃げるものがでて来ると自然かういう結果になるのであって素人方は頼母子に入る時には余程注意をせねばならぬ』
と語った。 ―――
<引用:「賭博にひとしい頼母子のカラクリ」大阪朝日新聞 大正14年6月19日>
(出典:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫・大阪朝日新聞 質屋無尽02-039)

今で言うマルチ商法や詐欺の手段になってしまう事態が生じてきたのだ。
営利を目的とした誘い文句に、多くの人がだまされていた。「相互扶助」の理念から大きく外れるどころか、悪用する人間が出てきたのである。


「共済・協同組合」の概念は文化遺産に

時にこのような事件に見舞われながらも、相互扶助の思想は絶えることはなかった。

我が国の共済や協同組合の原型は明治時代に法整備が進んだものだが、途中何度か手を加えられながら、現代の形に至っている。
ドイツの協同組合に注目した政府が、協同組合制度は国民の多数である農民の生活安定に役立つと考えたためだ。

そして実際に協同組合の設立が本格化したのは、戦後になってからだった。各地に多くの協同組合が設立され、今のような共済事業も運営されるに至っている。

そして2016年11月、ユネスコは「共通の利益の実現のために協同組合を組織するという思想と実践」を無形文化遺産に登録した*5。

これには背景があり、2015年に国連総会で「SDGs(=持続可能な開発目標)」が定められた影響が大きい(図6)。

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図6 SDGs「17の目標」
(出典:「持続可能な開発目標(SDGs)と日本の取組」外務省)

ここで定められている目標の一例はこのようなものだ。

・世界中の誰もが教育の機会を与えられること
・衛生的な住環境を世界中の誰もが享受できること
・誰も飢餓に陥らないこと
・誰も極度の経済格差に陥らないこと

これらを総じて、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」世界の発展として、SDGsの根本理念としている。

協同組合の成り立ちや事業の目的などは、まさにこの理念に一致すると評価されたのだ。


SNS時代にも広がる相互扶助

さて、現代には、SNS時代ならではの相互扶助があちこちで見られる。

クラウドファンディングはその一例だろう。コロナ禍では、ライブハウスや飲食店を救済するためのクラウドファンディングをよく目にするようになった。
「お世話になった店舗が苦しい時に支援する」という共通の目的を持つ人たちが、お金を出し合っていると言えるだろう。

また、共済や保険商品の中にも、友達どうしでグループを作り、万が一に備えるという「P2P共済」「P2P保険」と言われる商品が出てきている。

リアルだけではなくネット上でのつながりをベースにすることで、よりニッチな「万が一」に友達どうしで備えることができるという仕組みとなっている。

例えば同じ趣味を持っているグループメンバーどうしで特定の道具の破損に備える、同じ犬種のペットを飼っているグループでペットの病気に備える、といった具合である。

ニッチなリスクでありながらも、SNS上には多くの仲間がいる、そんなことも珍しくない時代ならではの発想だろう。

最初は地域の支え合いから始まった相互扶助・共済だが、その理念は形を変えながらこれからも続いていくのではないだろうか。


*1、5「日本の共済事業 —ファクトブック2020—」日本共済協会, p3、p5

*2「世界の生協の始まり」生協コープかごしま

*3「保険共済思想の源流としての頼母子講について—紀伊国尾張頼母子講の場合—」生命保険文化センター, p44